10年後のイメージと目標とする研究者

出張で、11/8に台湾に来ました。調べたら、10年ぶりです。10年前は、京大と国立台湾大学で遠隔講義をやっていて、その授業担当を2年間していたので、その関係で京大の関係者として訪問したのでした。懐かしいです。

そして、今回は岳先生、林さん@国立台湾大、両研究室の院生さんの研究ミーティングに、角所先生@関西学院大と参加しました。11月の1ヶ月間、台湾大に滞在している角所研の高瀬くん@関西学院大による共同研究の進捗報告、台湾大の院生2名の発表を聞きました。

国立台湾大学は、旧帝国大学として創立されていることもあって、キャンパスは少し日本の国立大学っぽい雰囲気があります。今年が創立90周年だそうです。

さて、今回、角所先生と2日間ご一緒でした。院生時代から指導していただき、今は共同研究を一緒にさせていただいています。私の目標としている研究者の1人です。特に研究に対する考え方や姿勢などは、ものすごく参考にしています。論理性が大変強く、全探索型、網羅型な考え方には、もともとタイプが近かったこともあるのですが、納得しやすいですし、私もかなり影響を受けているな、と思います。すぐなんでも分析するくせも、そうですね。

9歳上なので、10年後の研究者イメージとして、いつも意識しています。25歳のときからお世話になっているので、もう20年になるわけですが、いつ考えても10年前の角所先生に全然追いついてないなぁ、、、と感じます。頭の回転の速さは全然かなわないです。でも、少しでも追いつきたい、そう思います。

ロールモデル、といいますが、なかなかぴったりの人はいない、というのが現状だと思います。個人的には、複数人の目標をおいて「この部分はこの人」「5年後はこの人」みたいな感じで、自分のいいようにわけて、目標をもつといいのかな、と思ってます。ちなみに、私は、5年後、10年後、20年後の目標とする研究者をおいています。

今回の出張でご一緒して、改めて目標として、追いつきたい存在だな、と思いました。

 

 

目の前に パソコンあっても 気にしない スマホで調べる 若者たちよ

がんばって五七調にしてみました。

グループ学習などでパソコンが使える環境にあっても、スマホで調べる学生が、ここ2、3年で急増しています。今年の「言語と平和2」(初年次教育)では、ノートパソコンをロッカーから借りる形式の教室なので、よりその傾向が強くでています。でも、昨年パソコン教室でもスマホで調べる学生は結構いました。

学生に聞いたら「その方が調べやすい」「すぐ友達に見せられる」ということでした。うーむ、それはたしかに。

パソコンだといろいろな作業が並行してできる、というメリットはあるのですが、そこはスマホとパソコンを併用すればいい、ということもあって、なかなか悩みどころが多いです。

 

linecorp.com

 LINEが行っている「インターネットの利用環境 定点調査」の”2018年上期”では、

・ 「スマホ」でのインターネット利用者は全体の87%。

・対して「PC」での利用者は43%。

・構成比として最多は「スマホのみ」での利用者で48%。

・「スマホとPC」の併用者は38%。「PCのみ」での利用者は5%。

という結果。スマホだけの利用者が年々増加している、ということ。

https://scdn.line-apps.com/stf/linecorp/ja/pr/search071901.png

そりゃ、こういう現状にもなりますわね。

現状、仕事ではパソコンを使うことがほとんどなので、できれば学生時代にある程度パソコンには慣れておいてほしい、という気持ちはあります。ただ、学生にとって、文字入力をはじめ、ほとんどのことはスマホの方が早くできる、という状況だと、パソコンを使うこと自体がめんどう、ということにもなりかねません。うまくパソコンを使う文脈をいれていかないといけないな、と思う今日このごろです。

なお、私はいまだにフリック入力ができません。。。

日本教育工学会 SIG-01 第6回セミナー「新たな学習環境をデザインする ラーニングコモンズ・アクティブラーニング教室の設計,実践,評価」

12/16(日)13:30-17:00に東京理科大学にて、日本教育工学会 SIG-01 高等教育・FD 第6回セミナーを開催します。

今回は「新たな学習環境をデザインする ラーニングコモンズ・アクティブラーニング教室の設計,実践,評価」というテーマです。

岩崎さん@関西大、渡辺くん@東京理科大から話題提供いただき、グループディスカッションをしていきます。

終了後、情報交換会も行います。

ラーニングコモンズやアクティブラーニング教室の設計や運用に興味があるみなさま、ぜひご参加ください。私も参加します。

 

---------------------------------

日本教育工学会 SIG-01 高等教育・FD 第6回セミナーのお知らせ
「新たな学習環境をデザインする
  ラーニングコモンズ・アクティブラーニング教室の設計,実践,評価」

 多くの高等教育機関において,新たな学習空間の整備,そこでの種々の教育実践が進んでいる.しかしながら,国内において,これらの知見が学術的観点から共有される機会があまりない.また,評価を見据えた取組などをどのようにしていくかを考え,日本教育工学会SIG-01「高等教育FD」では,第5回セミナーのテーマを,新たな学習環境をデザインするとして,ラーニングコモンズ・アクティブラーニング教室の設計,実践,評価を参加者とともに考えたいと思います.
 参加者の方からも,所属大学などの学習環境を共有していただき,設計,実践,評価についての指針を議論できればと考えています.

日時:2018年12月16日(日)
場所:東京理科大学 神楽坂キャンパス 852アクティブラーニング教室
参加費:500円(資料代)

13:30-13:40 趣旨説明
13:40-14:20 ラーニングコモンズの設計,実践,評価 岩﨑千晶(関西大学
14:30-15:10 アクティブラーニング教室の設計,実践,評価 
                        渡辺雄貴(東京理科大学
15:20-16:50 ワーク(参加者の大学情報の共有と評価方法のディスカッション)
16:50-17:00 閉会挨拶
17:30-    情報交換会
内容:詳細に関しては現在調整をしておりますので,多少の変更があります.

企画:日本教育工学会SIG-01 高等教育・FD
問い合わせ先:岩﨑千晶(関西大学 ciwasaki@kansai-u.ac.jp ),
              渡辺雄貴(東京理科大学 wat@rs.tus.ac.jp )

申込: 下記のURLから申し込みしてください
    https://goo.gl/forms/e7Av4I3cu5jPvl0M2

情報交換会:会場近くで開催予定(希望者のみ,4,000円程度)

映画「日々是好日」を観てきました。

映画「日々是好日」を観てきました。お茶の先生と生徒の交流を、ゆったりと描いた物語です。

www.nichinichimovie.jp

黒木華樹木希林のやりとり、雰囲気がすごくよかったです。特に最後近く、二人縁側に座って、桜舞い散るシーンは、目頭が熱くなりました。

「頭で考えないの。手を信じなさい」といった言葉があったけれど、考えずに自然に体が動くようになる、確かに大事だと思います。頭で考えがちな私なので、もっと自然に、いろんなものにゆだねられるようになりたいです。

ここ数ヶ月、”自由に考える”ということを意識しているのですが、自由になるためには、型にはまってからの気づきもあるのだな、と思いました。まさに「守破離」ですかね。

自然との関わりについても、いろいろ考えさせられました。五感で味わうこと、小さな変化に気づくこと。

そして、”人生に起こることはいつも突然。時間をかけて少しずつ、その悲しみに慣れていくしかない”とあります。

「会いたいと思ったら、会わなければいけない。すきなひとがいたら、好きだと言わなければいけない。花が咲いたら祝おう。恋をしたら、溺れよう。嬉しかったら、分かち合おう。
 幸せな時は、その幸せを抱きしめて、百パーセントかみしめる。それがたぶん人間にできる、あらんかぎりのことなのだ。」(p.196)

幸せも悲しみもすべて織り込んで生きていく。そうやって人は成長していくのだな、と改めてしみじみ思いました。

日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ (新潮文庫)

日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ (新潮文庫)

 

 

実はよくこわがられるんです

昨日のブログは、いろんな方に読んでもらえたようです。職員に限らず、教員、他の人とのコミュニケーションにも共通する話ですよね。

 

munyon74.hatenablog.jp

もちろん、私も最初から職員や教員とうまくコミュニケーションをとれていたわけではなく、いろいろな失敗を繰り返しながら、今の考えや方略に至った、というところではあります。

私、職員とかに怖がられること、時々あるんです。昔からの友達とか、研究関係の人からすると意外だとは思うのですが。今でもたまーにあるんです。原因を考えてみると、ざっくり下記の3つかな、と。

 

1)歩いているときの顔が怖い

普段歩いている時、眉間にしわがよっていて、顔が怖い、怒ってるように見える、そうです。全然機嫌悪くないのに、そう見えるみたいで。。。よく知ってる職員さんにも「機嫌悪いのか、と思って、声かけられなかったです」ということもしばしば。歩く時に気をつけるようにしてます。

 

2)話すのが早くて、大阪弁がすごい

これは関西の人にはあまり問題ないですが、 関西外の人からは、話すのが早くてびっくりされます。会議で、元上司の大阪人の先生とやりとりしていると、たまに聞き取れないらしいです(苦笑)。あとは、言葉がきついケースもあります。特に仕事外だとがらが悪い感じになるときもあるなぁ、と思います。

 

3)会議などで、はっきり意見を言う

まあ、これが一番大きいですよね。。。1年目の時に、小さめのミーティングでかなり上の先生に意見していたそうで、そのとき同席していた私より少し年上の職員さんがその時の印象がものすごく強かったようで、「よく1年目からあの先生いるのに、発言するなぁ」と思ったと、しばらく言われました(笑)。どうしてもロジックが強いので、きつい感じ、攻めている感じがするときもあるようです。

そういう話によって「こわいらしい」といった噂になって、実際に会ってみたら「全然違いますね」と言われることも多いです。

会議などでの発言の仕方については、ずいぶん気をつけるようになりましたが、今でもたまにきつくなるので注意です。

 

上の人にきつい感じになりがちで、学生にはやさしい感じになりがちなので、その辺も気をつけつつ、コミュニケーションしていきたいな、と思います。

 

大学教員は職員と仲良くしましょう

タイトル、いい関係を築こう、とか、お互い信頼できるようにしよう、とか、いろいろ迷って、結局これになりました(笑)。軽いけど、まあ、こういうことです。昔から、ちょくちょく書いてきましたけど、まとめてみました。

”教職協働”という言葉がぶっちゃけ嫌いなのですが、大学教員と大学職員が、お互い協力して大学のために仕事をする、というのはある意味当たり前のことだと思うんです。

ただ、教員と職員、って、ある意味反対の仕事、だと思うのですよね。教員は「自由にやろうよ」「学生のためになるよ、こっちのほうが」みたいな意見をもっている一方、職員は「いや、そんなこと言っても、ルールがありますから」「管理しないと困ります」という主張になります。まあ、職種としては当然ですよね。

とはいえ、どちらとも大学のため、学生のために仕事をする、という目的は同じ。お互いが補完しあって仕事をする必要があります。難しいのは、相手の立場や感覚がよくわからない、踏まえていない、ということかな、と思います。あとはちょっとした信頼関係。

お互いのことを踏まえて話ができれば、最終的な落とし所が見えてきます。今回はこっちより、次はそっちより、みたいなこともあります。どんな仕事でもそうだと思いますが、持ちつ持たれつ、だなと。

なので、教員は、機会を見つけて、職員と少し話をしてみるといいな、と思っています。まずは「仕事、大変ですよねー」っていうあいさつとかでもいいのでは、と思います。あとは職員の仕事を考えてみると、こちらもどうしておけばいいのか分かることも多いです。そういうことを積み重ねると、職員側も教員のことを考えていろいろアドバイスしてくれたり、助けてくれたりします。

私の場合は、メールで仕事のやりとりをすることが多いですが、ちょっとややこしい案件の時は直接会いに行くようにしています。あとは会った時に仕事のお礼を言ったり、出張のお土産をもっていったり。

あとは、教員と職員は職種が違うだけで、上下関係はないので、フラットに付き合うことを意識しています。これ大事ですよね。

個人的には職員とちょくちょく飲みに行ったりしますが、これは性格とかもあるのでね。でも、いける人はいってみたらいいと思います。

昔、FD報告書に、FD委員会にいてくれる職員のことを「扇の要」と書きましたが、教員、職員、学生が三位一体になっていい大学にしていけるといいな、と思います。

 

”考えたら分かるやろ”の暴力性

昨日の話題に関連して。ずっと前から書こうと思いつつ、書けてなかった話で、懺悔です。正直、自己満足なのですが。

munyon74.hatenablog.jp

若かった頃、特に大学院に進学した頃は、授業料は免除(親の収入により)、院試の成績が悪くて奨学金は借りられず、進学は自活が条件だったので生計を立てるためにアルバイトは週6日、という生活でした。今思えば、いくらかやさぐれていたと思います。人生、苦労してなんぼ、って、思ってました。みんな苦労すればいいのに、とも。

私自身は、京大にも入学でき、所属したソフトテニス部でも少しですが副将として勝つことができ、苦手でコンプレックスだった運動についても、多少克服できました。そういう理由から、この頃は、努力すれば報われる、と思ってましたし、努力至上主義だったでしょう。

そんな中、報道されるさまざまな事件のニュースを聞いたり、周りで起こるトラブルの話などを聞いて、よく「考えたら分かるやろ」と言っていました。世間や身の回りにずいぶん厳しいことを言っていたような気がします。傲慢でした。

「考えたら」というのは、「考えることができる状況」が必要、ということだと思います。その状況にいれない場合もあるわけです。知識がない場合もあるし、考え方がわからない場合もあるでしょうし、本来ならできるのに精神的に追い込まれてしまっている可能性もあるでしょう。

例えば、企業の不祥事だって、ほとんどは本人は悪いとわかっていながら、言い出せないまま、空気に流されてしまって起こっているだろうと思います。ハラスメントなんかもそうですよね。外部からは「なんで言わなかったの」ってなりますが、言えない、言い出せない状況だったことがほとんどだと思います。どんな人でも、いつ、自分の身にそんなことが起こっても不思議ではないわけです。

また、ホームレスの人やネカフェ難民なども、ほとんどの場合、なりたくてなっているわけではない。いろいろな事情が重なっているわけですが、その事情について何も配慮せずに対応したらだめなわけです。

昔はそういう人に対しても「考えたら分かるやろ」と言ったり、思ったりしていたし、”自分は努力してできてるんだから、みんなもやるべき”と考えていたように思います。

これまでにいろいろな経験をして、「考えたらわかるやろ」ということが不可能な状況がたくさんあることを学びました。失敗もしました。年齢を重ねて少しずつましにはなってきているかな、とは思います。

私としては、考えることのできる能力を身につけること、育成すること、考えることのできる環境を整えること、ができていけばいいな、と考えています。

ただ、実際がそんな性質、性格だから「やさしくありたい」と思うのだろうし、ちょっと油断したら悪いところが出てくると思うので、これからも気をつけないとな。