酒井敏「京大的アホがなぜ必要か カオスな世界の生存戦略」

 

京大的アホがなぜ必要か カオスな世界の生存戦略 (集英社新書)

京大的アホがなぜ必要か カオスな世界の生存戦略 (集英社新書)

 

大学時代にお世話になった酒井先生@京大総合人間学部の新書。

大学に関する内容(序章、第3章、第4章、終章)と、酒井先生の研究分野であるカオスに関する内容(第1章、第2章)の2部立てで相互に関連づいている、という感じの構成。

やはり、気になるのは、序章「京大の危機は学術の危機」です。京大の自由の学風の重要性、しかし、その維持が難しくなっている、という問題意識。学術研究に「効率」を求めることによる弊害、そして、”効率の悪い「アホ」が人類を救うかもしれない”という主張。

「アホ」というのは、まさに関西弁で、おかしいけど、ちょっとおもしろいことやりましょうや、って感じなのかな、と思います。そういうことをやっていく中で、思わぬ発見があったりするんじゃないかな、という気がします。

ぜひ多くのみなさんに読んでほしいな、と思いました。そして、ここから、第1章、第2章へのカオスの話へとつながっていきます。

そして、第3章に「決まった体系のない「教養」はスケールフリー構造の知識?」」という節があります。”教養とは?”という議論は、大学教育を考える上で本当に難しい話だと思うのですが、「体系化が完成を求める一方で、それぞれの領域が「タコツボ化」して行き詰まっている」(p.124)という記述もあるように、体系がないのも1つのあり方なのかな、と思います。学際的って一言でいうのは難しいですけどね。

まあ、p.123にあるように、教養部が改組されて設立された総合人間学部に1期生として入学した私も”なんか、だまされた”と思いましたし(笑)、酒井先生もp124-125にこのように書かれています。

「君らは騙されたんや。もっと起こっていいぞ。でも、ここからは先は僕が大学当局の人間であることを棚に上げて言うけど、君らは何しにこの学部に来たんや?なにか新しいことをしたくて来たんちゃうの?だったら、総合人間学部を選んだ君らの選択は間違っていない。新しいことをやれよ。ただし、教員は理学部や文学部出身だから、新しいことは教えられない。でも、君らが勝手に新しいことをやることを止めることもできない。だって、総合人間学部の看板にそう書いてあるんだから。錦の御旗は君らの方にある。だから、大学をあてにするな」

そうね、実際にこんな感じでしたよね(笑)。だからこそ、文句言いながらも、なんやかんやと取り組んでみたのかな、と思いました。ゆかいな学部生活でしたね。

 

私は、この4月に、大阪大学の全学教育推進機構に着任しました。教育学習支援部は、全学のFDや教員研修、大学院生研修などを担当する部署ですが、機構全体としては、教養部を母体とした共通教育を担当する機関です。こういう機関に所属した、ということは、ある意味、縁だったのかもな、と思うところもあります。

京都大学出身という外様であること、理系出身なのに京都外国語大学という私立大学に17年間勤めたということも活かしつつ、大阪大学ならではの教養教育、FDや教員研修の支援ができたらいいな、と思っています。

垣谷美雨「後悔病棟」

後悔病棟 (小学館文庫)

後悔病棟 (小学館文庫)

 

空気を読めずに、たびたび患者に心ない言葉をかけてしまう内科の女医ルミ子が、中庭で拾った不思議な聴診器で、患者の心の声が聞こえるようになる、というお話。末期がんの患者が死ぬ前に人生を振り返り、後悔している”あの日”まで戻って別の人生を体験することを支援する。

連作短編集で、芸能界デビューをしていたら、家族ともう少し話していたら、娘の結婚に反対していなければ、中学時代に罪をかぶっていれば、という4つの心残りのエピソードがあげられています。実際に別の人生を体験して、死んでいく。どちらの選択のほうがよかったのか、というのは難しいけれど、いろいろ考えさせられました。

女医ルミ子が、これらの体験を通して、患者の気持ちに寄り添うようになり、少しずつ成長していく様も興味深いです。

私だったら、どこに戻るかなぁ、と考えますね。いつかしら。なんにしても、悔いないように生きていきたいですね。

 

綿矢りさ「手のひらの京」

手のひらの京 (新潮文庫)

手のひらの京 (新潮文庫)

 

京都を舞台にした、三姉妹の物語。しっかり者の長女は結婚に、モテる次女は社内恋愛に、理系大学院生の三女は東京への就職に、それぞれ悩みを抱えながら、過ごしていく物語。

祇園祭や大文字焼、鴨川や嵐山など、京都の様々な場所が四季を織り込みながら描かれ、京都に住んでいた身としては、頭に情景が浮かんで、ほっこりします。

いけず、が出てくるのも、京都っぽいのかな(笑)。

両親と三姉妹との関係もいい感じで、やわらかく、やさしい小説だな、と思います。

京都をふわっと感じられる1冊かな。

原田まりる「ぴぷる」

ぴぷる

ぴぷる

 

2036年の京都を舞台にした、人型AIを妻にした男性、その人型AIを開発した女性研究者らを中心に、人間関係を描いたSFコメディ小説。

5/20に京都外大にゲスト講義に来ていただく原田まりるさんの新作小説です。

中心となるのは5人の登場人物なのですが、主人公の摘木健一のヘタレぶりと、AI研究者の深山楓の心理パターンに共感しつつ、読みました。私も深山氏みたいな考え、もともとあるんですよね。

SFコメディとはなっていて、お話としては読みやすいですが、AIとの恋愛・結婚だけではなく、複数のテーマがからまりあっていて、なかなか考えることが多かったです。

しかし、実際、AIロボットとの結婚とか恋愛とか、どうなりますかね。まあ、いまも2次元に恋をしている人もいるわけで、将来の話というわけじゃないかも、ですよね。

授業で「不気味の谷」を解説した後、「私もロボットかもしれないじゃないですか」「世界征服しに来ている宇宙人かもしれないじゃないですか(涼宮ハルヒの周りの人みたいに)」と言うのが鉄板で、いつも学生は”先生、おかしくなった”みたいな反応なのですが(笑)、区別がつかなかったら、どういうことになるのか、難しいかもですよね。

 

また、AIなどの作品、いろいろ読んでいきたいです。AIやロボットとの共存を考えた作品としては、まんがの「AIの遺電子」が秀逸だと思います。

 
 

 

平成もいよいよ終わりですね。

平成もいよいよ終わりですね。昭和から平成になったときは、自粛モードが続いてからの変更でしたが、今回の平成から令和へは、事前にわかった状態での変更ということで、とてもよかったですね。

私の場合、高校受験をする年に平成になったので、0歳から15歳が昭和、15歳から45歳が平成、ということになります。先日、高校の同級生が集まる飲み会があったのですが、高校生の時に思っていたのとは、ずいぶん違う45歳になった気がします(笑)。

思ったよりも波乱万丈なことがいろいろありましたし、まさか大学の教員になっていると思いませんでしたが、充実した30年間だったのかな、と思います。

次の令和は、人生の後半。どんな時代になるのか、今から、楽しみです。

 

流れを変える能力

先日、関西学生ソフトテニス春季リーグ(男子4部)を観戦してきました。京都大学は昨秋、4部に昇格しての戦い。1日目の3対戦を見たのですが、すべて1-4での敗戦となりました。特に1、2試合目が全て負けで、後手後手になり、ずっと沈んだ雰囲気での試合になったなという印象でした。終了後には、昨秋とまったく状況は違うものの「明日は、10勝0敗でいってください。みなさんにその実力はあります」と同じことを言いました。

2日目は見に行けませんでしたが、2対戦とも4-1で勝利、ということで、最終的には2勝3敗の4位という結果でした。先手を取って、流れもよかったのだと思います。

他の大学の試合もいくらか見ましたが、団体戦の妙というか、流れや雰囲気にのって、実力以上の力を発揮する選手、実力を発揮できない選手、というのも見てとれました。

いい流れの中で力を発揮する、ということももちろん重要ですが、苦しいとき、よくない流れの時にしっかりしのいで、いい流れに持っていく、という能力が重要だな、と感じました。そのことも幹部の人たちには伝えました。

こういう能力は、別にスポーツの試合とかだけの話ではなく、日常の仕事などでも考えられることだな、とコメントしながら、思ってました。具体例としてはうまく書けないのです、いろいろ行き詰まっている仕事の状況を打破する一手を打てる、問題点を解決する方策を進められる、組織の雰囲気が悪い状態を変えることができる、といったことがあるのかな、と。

私自身にそのような能力があるかどうかわかりませんが、身につけたいと思いますし、流れを意識して行動していきたいな、と思います。

あと、こういう経験は、体育会ならでは、だと思うので、体育会離れの時代でなかなか難しいとも思いますが、学生には体育会に参加してほしいな、とも思います。

教育に関する授業でのブーメラン?にどきどきする話

先日、大阪大学の大学院の授業「大学授業開発論Ⅱ(FFP2)」に参加してきました。大阪大学全学教育推進機構教育学習支援部が行っている「大阪大学未来の大学教員養成プログラム」の授業の1つで、大学教員として教壇に立つためのトレーニングをしています。

www.tlsc.osaka-u.ac.jp

2日目に、5名の履修者が、それぞれ15分の模擬授業を行いました。医学、保健学、歴史学認知言語学、初年次教育(プレゼン)、とバラエティにとんだ内容で、終了後にコメントや議論を行いました。

”初年次教育(プレゼン)”は、実際に、今年の前期に行っている1年生向けの授業で、プレゼンのやり方について教えてもらう予定で、その内容を授業してもらったわけです。

そこで、佐藤さん@大阪大が「プレゼンのやり方を教える授業はすごく緊張するんですよね」と言いました。個人的には「佐藤さんでも、そんなこと言うんやなぁ」と思ったのですが(笑)、院生たちはびっくりしてました。でも、実際、そうなんですよね。プレゼンのやり方を教えているのに、その先生のプレゼンが下手だったら、説得力がないですものね。

それで、私が「この授業(大学授業開発論Ⅱ)をやること自体、担当している先生方はとてもプレッシャーなわけですよ」とコメントしました。院生さんはもともとどんな風に思ってたのかな。

私も、これまでに「教育方法論」などの授業を担当したり、大学教員向けにFD研修でインストラクショナルデザインやアクティブラーニングの設計の話などしてきたのですが、常に「お前はできるんか」という自己言及、ブーメランを受けてきて、どきどきしながら授業してきました。あまりそんな風には見えてないかもしれないのですが(笑)、常に「こんなので大丈夫かしら」って思ってたりします。もちろん、ちゃんと準備してやってるんですけどね。

こういう構造の授業、って、緊張する反面、面白いよな、と思いながら、授業しています。他の人はどうなのかなぁ。