授業設計では「自分が学生だったら」とは考えない。

時々、大学の教員が「今の学生はこういうのも知らない」と言っているのを聞いたり、書いているのを目にしたり、することがあります。そういう発言自体が、ブーメランで自分の授業力の問題を浮き彫りにしてしまっている、と言えるかもしれません。

日本教育工学会のFD研修会のテキストには

「昔の学生と同じと思っていませんか? 教える学生のことを理解していますか?」

とあります。

大学授業改善とインストラクショナルデザイン (教育工学選書II)

大学授業改善とインストラクショナルデザイン (教育工学選書II)

 

授業を設計する際には「入口」をしっかり把握すること、つまり、授業を受ける学生の状況を理解することが重要になります。

私自身、気をつけていることの1つに、「自分が学生だったら」とは考えないようにしている、ということがあります。

「自分が学生だったら、きっとこういうのが面白いだろうし」と思って授業をすると、学生の興味や理解度などとずれてしまう可能性が高いと思われるからです。そもそも、大学教員になっていることがめずらしいケースなわけですからね。

出身大学で授業するような場合は、そういう想定でもうまくいくかもしれないのですが、それでも、今の学生と自分の学生時代を比べたら、やっぱり違いますよね。

先日、授業見学をしてもらう前にインタビューをうけた際に、そういう話をしたので、ちょっと書いてみました。

母の日と近鉄百貨店

今日は母の日ですね。夕方に梅田に行ったら、お花屋さんに行列ができていました。

うちは5年前に母親が亡くなっているのですが、母の日になにかしたか、って言われると、あんまり何もしなかったなぁ、、、。もうちょっとなにかしたらよかったかな、と思ったりもしたのですが、こんな記事もありました。まあ、感謝の気持ちはあったと思うので、よかったことにしておこう(笑)。

headlines.yahoo.co.jp

 

先日、GWの話や家族旅行の話になって、私はひきこもりで普段あまり出ないんですよ、みたいな話をしたのですが、そもそも子どもの頃に家族で泊まりの旅行をしたことがないなぁ、と。夏休みに1週間ほど、おふくろの故郷である徳島に行くくらいでした。大人になっても出かけないのは、そういった影響もあるのかもしれないですね。

おふくろと出かける、といえば、実家のたこ焼き屋が月曜日が定休日だったので、月曜日が祝日のときに天王寺近鉄百貨店に行くくらいでした。バスで10分とかで行けるところでしたが、それでも、子ども心に楽しみにしていたものでした。ちょっと買い物をして、ご飯を食べて。

中学生になったころから、もう自分で自転車で日本橋に通うようになったので、おふくろと出かけることもほぼなくなったのですが、久々にちょっと思い出しました。

今は、天王寺もきれいになって、近鉄百貨店もあべのハルカスになって、だいぶ変わりました。ただ、あの懐かしい感じの近鉄百貨店が自分の中の天王寺かな、と思ったりしたのでした。

 

酒井敏「京大的アホがなぜ必要か カオスな世界の生存戦略」

 

京大的アホがなぜ必要か カオスな世界の生存戦略 (集英社新書)

京大的アホがなぜ必要か カオスな世界の生存戦略 (集英社新書)

 

大学時代にお世話になった酒井先生@京大総合人間学部の新書。

大学に関する内容(序章、第3章、第4章、終章)と、酒井先生の研究分野であるカオスに関する内容(第1章、第2章)の2部立てで相互に関連づいている、という感じの構成。

やはり、気になるのは、序章「京大の危機は学術の危機」です。京大の自由の学風の重要性、しかし、その維持が難しくなっている、という問題意識。学術研究に「効率」を求めることによる弊害、そして、”効率の悪い「アホ」が人類を救うかもしれない”という主張。

「アホ」というのは、まさに関西弁で、おかしいけど、ちょっとおもしろいことやりましょうや、って感じなのかな、と思います。そういうことをやっていく中で、思わぬ発見があったりするんじゃないかな、という気がします。

ぜひ多くのみなさんに読んでほしいな、と思いました。そして、ここから、第1章、第2章へのカオスの話へとつながっていきます。

そして、第3章に「決まった体系のない「教養」はスケールフリー構造の知識?」」という節があります。”教養とは?”という議論は、大学教育を考える上で本当に難しい話だと思うのですが、「体系化が完成を求める一方で、それぞれの領域が「タコツボ化」して行き詰まっている」(p.124)という記述もあるように、体系がないのも1つのあり方なのかな、と思います。学際的って一言でいうのは難しいですけどね。

まあ、p.123にあるように、教養部が改組されて設立された総合人間学部に1期生として入学した私も”なんか、だまされた”と思いましたし(笑)、酒井先生もp124-125にこのように書かれています。

「君らは騙されたんや。もっと起こっていいぞ。でも、ここからは先は僕が大学当局の人間であることを棚に上げて言うけど、君らは何しにこの学部に来たんや?なにか新しいことをしたくて来たんちゃうの?だったら、総合人間学部を選んだ君らの選択は間違っていない。新しいことをやれよ。ただし、教員は理学部や文学部出身だから、新しいことは教えられない。でも、君らが勝手に新しいことをやることを止めることもできない。だって、総合人間学部の看板にそう書いてあるんだから。錦の御旗は君らの方にある。だから、大学をあてにするな」

そうね、実際にこんな感じでしたよね(笑)。だからこそ、文句言いながらも、なんやかんやと取り組んでみたのかな、と思いました。ゆかいな学部生活でしたね。

 

私は、この4月に、大阪大学の全学教育推進機構に着任しました。教育学習支援部は、全学のFDや教員研修、大学院生研修などを担当する部署ですが、機構全体としては、教養部を母体とした共通教育を担当する機関です。こういう機関に所属した、ということは、ある意味、縁だったのかもな、と思うところもあります。

京都大学出身という外様であること、理系出身なのに京都外国語大学という私立大学に17年間勤めたということも活かしつつ、大阪大学ならではの教養教育、FDや教員研修の支援ができたらいいな、と思っています。

垣谷美雨「後悔病棟」

後悔病棟 (小学館文庫)

後悔病棟 (小学館文庫)

 

空気を読めずに、たびたび患者に心ない言葉をかけてしまう内科の女医ルミ子が、中庭で拾った不思議な聴診器で、患者の心の声が聞こえるようになる、というお話。末期がんの患者が死ぬ前に人生を振り返り、後悔している”あの日”まで戻って別の人生を体験することを支援する。

連作短編集で、芸能界デビューをしていたら、家族ともう少し話していたら、娘の結婚に反対していなければ、中学時代に罪をかぶっていれば、という4つの心残りのエピソードがあげられています。実際に別の人生を体験して、死んでいく。どちらの選択のほうがよかったのか、というのは難しいけれど、いろいろ考えさせられました。

女医ルミ子が、これらの体験を通して、患者の気持ちに寄り添うようになり、少しずつ成長していく様も興味深いです。

私だったら、どこに戻るかなぁ、と考えますね。いつかしら。なんにしても、悔いないように生きていきたいですね。

 

綿矢りさ「手のひらの京」

手のひらの京 (新潮文庫)

手のひらの京 (新潮文庫)

 

京都を舞台にした、三姉妹の物語。しっかり者の長女は結婚に、モテる次女は社内恋愛に、理系大学院生の三女は東京への就職に、それぞれ悩みを抱えながら、過ごしていく物語。

祇園祭や大文字焼、鴨川や嵐山など、京都の様々な場所が四季を織り込みながら描かれ、京都に住んでいた身としては、頭に情景が浮かんで、ほっこりします。

いけず、が出てくるのも、京都っぽいのかな(笑)。

両親と三姉妹との関係もいい感じで、やわらかく、やさしい小説だな、と思います。

京都をふわっと感じられる1冊かな。

原田まりる「ぴぷる」

ぴぷる

ぴぷる

 

2036年の京都を舞台にした、人型AIを妻にした男性、その人型AIを開発した女性研究者らを中心に、人間関係を描いたSFコメディ小説。

5/20に京都外大にゲスト講義に来ていただく原田まりるさんの新作小説です。

中心となるのは5人の登場人物なのですが、主人公の摘木健一のヘタレぶりと、AI研究者の深山楓の心理パターンに共感しつつ、読みました。私も深山氏みたいな考え、もともとあるんですよね。

SFコメディとはなっていて、お話としては読みやすいですが、AIとの恋愛・結婚だけではなく、複数のテーマがからまりあっていて、なかなか考えることが多かったです。

しかし、実際、AIロボットとの結婚とか恋愛とか、どうなりますかね。まあ、いまも2次元に恋をしている人もいるわけで、将来の話というわけじゃないかも、ですよね。

授業で「不気味の谷」を解説した後、「私もロボットかもしれないじゃないですか」「世界征服しに来ている宇宙人かもしれないじゃないですか(涼宮ハルヒの周りの人みたいに)」と言うのが鉄板で、いつも学生は”先生、おかしくなった”みたいな反応なのですが(笑)、区別がつかなかったら、どういうことになるのか、難しいかもですよね。

 

また、AIなどの作品、いろいろ読んでいきたいです。AIやロボットとの共存を考えた作品としては、まんがの「AIの遺電子」が秀逸だと思います。

 
 

 

平成もいよいよ終わりですね。

平成もいよいよ終わりですね。昭和から平成になったときは、自粛モードが続いてからの変更でしたが、今回の平成から令和へは、事前にわかった状態での変更ということで、とてもよかったですね。

私の場合、高校受験をする年に平成になったので、0歳から15歳が昭和、15歳から45歳が平成、ということになります。先日、高校の同級生が集まる飲み会があったのですが、高校生の時に思っていたのとは、ずいぶん違う45歳になった気がします(笑)。

思ったよりも波乱万丈なことがいろいろありましたし、まさか大学の教員になっていると思いませんでしたが、充実した30年間だったのかな、と思います。

次の令和は、人生の後半。どんな時代になるのか、今から、楽しみです。