30年前の大阪の商店街と地上げ屋を思い出す。

25年前(20歳)の話の次は、30年前の話です。

先日、中原くん@立教大のブログにこのようなものがありました。

www.nakahara-lab.net

30年前かぁ。1988年、昭和最後の年。私は15歳。いわゆるバブル期ですね。

泊まっていたココルームでスタッフの方に阿倍野再開発事業の話などを聞かれたので、昔のことをいろいろ話しながら、思い出していました。うちの実家はもともと六軒長屋の真ん中で、借家だったものをローンで買い取っていた(途中だったかも)ので幸い大丈夫だったけれど、80年代には地上げ屋が来ていて、一部の人は引っ越していったことがありました。うっすらの記憶ですが、たしかにすごい人達がいたよね。なかなかなことをやっていたように思います。家も歯抜けになっていったところがあったな、と。ほんまに、昭和、って感じ。

私の実家は、商店街(北畠公園本通商店街)でたこ焼き屋をやっていました。王子商店街など4つの商店街がつながっていて、当時は朝と夕方、歩くのも大変なくらい、ものすごい買い物客でした。今思えば、すごいことだなぁ。小さい頃はおふくろと一緒に商店街を歩いて、八百屋なり、魚やなりで買い物してました。今の時代、毎日商店街に買い物に行く、という生活を送っている人はかなり少ないですよね。スーパー、コンビニで買物、しかも買い置きが日常になってきたのだな、と思います。

地元は、30年前と比べて、大きく町並みが変わったということはないですが、商店街などの様相は大きく変わりました。シャッター通りになっているところもあります。高齢化も進んでいます。

8月に、文の里商店街では”夜市”をやっていました。毎年やっているそうです。賑わっている商店街を体感できるすばらしいイベントですよね。この商店街のそばで、中学の同級生が夫婦でお好み焼き屋をやっていたり、寿司屋をやっていたりします。

「文の里商店街の夜市」 エスマガ交響曲パート2 - 不動産屋の舞台裏 -

「昭和の残り火…」 エスマガ交響曲パート2 - 不動産屋の舞台裏 -


私も高校生くらいのときに、商店街のイベントでヨーヨー釣りとかの夜店やガラガラ抽選会を手伝っていました。まあ、当時はいやいやでしたけども(笑)。いろいろ店の手伝いもしてたなぁ。

そういうところで育ったので、商店街、すごくいいな、って思うんですけど、じゃあ、今の生活で普段の買い物でいくか、と言われるとなかなか行かない。時代の流れって難しいな、と思います。

そんな中、自分に一体何ができるのだろう、と考えます。本当に少しでしょうけど、できることはしていきたいな、と思います。

2018年、平成最後の年。1988年、昭和最後の年。1つの区切りなんでしょうね。