差別の構造を理解してもらうために考えないといけないこと

京都外大では、初年次教育として「言語と平和」という授業があります。建学の精神「言語を通して世界の平和を」を理解してもらうことを目的とし、春に「言語と平和1」というリレー講義があり、秋学期に「言語と平和2」として30名程度のクラスに分かれ、自分たちでテーマを設定して、グループプレゼンを行います。

今年も先日、グループに分けて、テーマを決めていきました。人種差別や女性差別、いじめ、LGBT、貧困の問題など、いろいろなテーマでこれから具体的な問題を設定していきます。

そんな中、机間巡視をして話を聞いたり、議論を促したりしていくと「なんで差別が起こるのか」ということがぴんときていない、ということが多くあります。

差別の例を聞いた時に、女子学生が「女性専用車両。別にちょっとくらいあたっても大丈夫やのに、男性がびくびくして手を上げているのを見るとかわいそう」って言ってて、ちょっとびっくりしました。また、人種差別とかはなんでおこると思う?って聞いても「ほんまや、なんでやろう」という回答。

貧困では「たとえば日本での貧困ってどんなん?」って聞いて、ホームレスとか、って出てきて「なんで働かへんねやろ。働いたらいいのに」みたいな意見が。「でも、君たちくらいの年で、ネカフェ難民みたいな生活をしている人もおるで」というと、なんでそうなるのか、ということがわからない様子。もしかしたら、そうなってしまう可能性もあるわけですが、そうはならないよね、と思っている。というかまったく考えないのだな、と。

このグループには、釜ヶ崎の話や、釜ヶ崎芸術大学の話を少しだけしました。また、紹介したいと思っています。

学生たちは、世の中に差別があってはいけない、ということは理解していますし、みんな素直で優しいです。でも、身近に明示的な差別があまりなかったり、無意識になっていたりして、とにかくぴんときていない。当事者性がない、ということでしょうか。そして、差別が起こる、ということは、そこに構造的な問題があるわけですが、その構造自体もよくわからない、ということなのだな、と、あらためて強く感じました。

いろいろな事例を出して、調べたり考えてもらうように促しつつ、今後、もっと差別の構造を理解してもらうために、いろいろな知識や情報を伝えていかないといけないな、と思いました。知識や情報がないと想像もできないし、相手の立場や心情も理解できないな、と。

これは学生など若者だけの問題ではなく、私のような大人も問題あるよなぁ、と思います。自分の正義を振りかざす人たち、ネトウヨ、ネトサヨなんて呼ばれる人たちもそうですよね。

とにもかくにも、自分自身も、相手の立場や心情を考えられるようにいろいろなことを知っていかないと、と思いました。

この件は、若かった頃によくない考えをもっていたので、また書きたいと思います。