「万引き家族」で考える家族のキズナ

少し前になりますが、映画「万引き家族」を観ました。普段、あまり映画を観ないのですが、これは観てみたいな、と。

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第71回カンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞する、など、公開前からいろいろ話題ではありましたが、実際に観てみると、生々しい日常生活の中に、登場人物の不器用な優しさが随所にみえ、なんとも言えない気持ちになりました。

出てくる家族6人は、誰1人として血がつながっていないわけですが、その分、別のつながりがあり、それは社会に対しての反発?不適応?によるもので、それもまたある意味のもやもや感がありました。血のつながっている家族とは一体何が違うのだろうか、と考えさせられました。また、登場人物それぞれにも物語があり、さまざまな要因があるので、とても複雑なお話だな、と思いました。りんはどちらのほうが幸せだったんだろう、、、と思っちゃいます。

役者陣の演技もみんなよくて、特に最後の信代(安藤サクラ)と女刑事(池脇千鶴)のやりとりは圧巻だったな、と思います。

映画だけでは6人の関係がよくわからない部分があったのですが、それはノベライズ小説のほうで説明がありました。映画を見てから小説を読むと、作品をより味わえるような気がします。 

万引き家族【映画小説化作品】

万引き家族【映画小説化作品】

 

小説を読んで、いくつもいい表現があるのですが、特にささったのがこの2つ。

「自分で選んだほうが、キズナは強いのだ。信代は本当にそう思っていた。」(p.197)

「一度でいいから、「ママ」と呼んでもらうんだった。信代は、そう思った。」(p.253)

この文章で書いてあることは、思い返せば映像からも感じ取れたな、と思います。すごいことですよね。 そして、地の文で読んでも、強いことばだな、と感じます。

 

この評論が個人的にすごく共感しました。家族固有の機能などを使いつつ、説明されていて、なるほど、と思いました。

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特に”正確にいえば、「盗んだのは、絆でした」よりも「拾ったのは、絆でした」となるだろう。”というところは、そうだなぁ、と思いました。信代もそう思ってたんだしな、と。

家族のキズナ、というのは、いったいなんなのか、どうやって形成されていくのか、いろいろ考える機会になりました。って、答えってまったくないですけどね。難しいね。

また、もう1度観てみたい映画です。