父親の命日と自分の性格

今日は父親の命日でした。2005年に亡くなったので、もう13年前ということになりますね。父親は急性骨髄性白血病で1年弱の入院生活だったのですが、当時はほとんど誰にも言わずに対応していました。ブログを見直しても当時はほとんど書いてなかったですね。若かったのかもしれません。

2005年のはじめに父親が体調不良により救急車で運ばれ、入院することになった病院は大阪府南部にある府中病院でした。専門的なところでものすごくお世話になりました。ただ、大学や家からは遠かったのと、母親も精神的にややあぶない状況だったので、どうやってのりきっていけばいいのか、ということを考えながらの1年間でした。母親が毎日病院にいけるように練習した(実家からも電車などで30分ほどかかったので)後は、週1、2回病院に通って実家に泊まる、という生活でした。

当時は昔のテレビのイメージでちょっとこわかったのですが、白血病の治療は丁寧なもので、無菌室も思っていたのとはずいぶん違いました。今はもっと進んで改善されているんでしょうね。担当医の方もしっかり説明してくれましたし、私が研究者ということで、研究的な話も交えてくれました。父親も基本的には担当医と私に一任してくれたので、その点は楽だったように思います。

結果、完全に寛解はせず、夏に1ヶ月ほど仮退院したものの、再入院し、心臓の関係で骨髄移植はできない、ということで、治療を続けました。

この頃、なんとか博士を取得し、その後、たまたま京都新聞に掲載してもらったのですが、父親にとっては新聞に掲載されたのが分かりやすくてよかったようで、病院に行ったら父親が看護師に自慢してお願いしたようで、ナースステーションに記事のコピーが貼ってあって、ただただ申し訳なかったのを覚えています。ただ、親孝行にはなったんだろうな、と思います。

父親はただただ真面目で、口下手ながらタクシーの運転手の仕事は地道にこなし、休みの日はだいたい1日家にいて、人はいいので他人の面倒をみてあげ、機械とか新しいことに興味を持ってはみるものの、よくわからないまま終わる、という人でした。

この歳になって、改めて、私の性格の大半は父親ゆずりなんだろうなぁ、と感じます。今思えば、”親父、もうちょっと要領よくできたんやないの”と思いますけど、まあ、その不器用さがよかったのかもね。

親父のことを思い出しつつ、これからの自分のことも考えていこうかな、と思います。

以前、実家から持って返った写真を整理していたんですが、まあ、親父が写ってる写真そのものがほとんどないんですよね。これは1歳か2歳くらいですかね。私が大学生の時にあった法事で、親戚一同で撮った写真はあったんですが、交代で撮ってて、一緒に写ってない(笑)。長男やから交代で撮ろう、みたいなことやな、たぶん。結果、いれかわりで同じ場所で写ってました。

 

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