【募集】9/22 ライフデザイン・ワークショップ@京都外大

9/22(土)に京都外国語大学で「ライフデザイン・ワークショップ」を開催します。興味がある方であれば、どなたでも参加できます。ぜひご参加ください。

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就活を考えている方。働き盛りの方。子育てまっさかりの方。

今までとちょっと違う冒険をしてみたい方。人生の転機にある方。将来に不安がある方。

土曜日の昼下がりに、少し自分の人生を俯瞰してみませんか?

 

「ライフデザイン・ワークショップ」では、スタンフォード大学で実践されている講座「ライフデザイン」を参考にしながら、短い時間で体験していただける用にリデザインしたプログラムを実施します。

 

LIFE DESIGN(ライフデザイン)――スタンフォード式 最高の人生設計

LIFE DESIGN(ライフデザイン)――スタンフォード式 最高の人生設計

 

お茶を飲みながら、和やかな雰囲気でおしゃべりしましょう。

どうぞお気軽にお越しください。

■実施日    2018年9月22日(土) 13:30~17:00(13:00 開場)
■実施場所   京都外国語大学 4号館4階 443教室  
        http://www.kufs.ac.jp/access/index.html

■参加費    無料
■参加条件  大学生以上どなたでも
■定員    20名
■申込締切  9月14日(金)24:00(先着順)

■申込み方法 
下記URLからフォームに進み、入力してください。

https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSdCr88CuykW98XgP25KX_xVexXi17rRVvU-MadsVMWJ3B0HzQ/viewform?usp=pp_url


■お問い合わせ
下記URLからお問い合わせください。
http://harinezuminomori.net/contact


■留意点
このワークショップは、ミライカレッジと帝京大学森玲奈が共同研究を進めるワークショップです。参加費は無料になりますが、当日、撮影・録音等記録への承諾とアンケートにお答えいただくことが参加条件になります。ワークショップの会場風景写真は公開される可能性がございますが、アンケートのご回答並びに録音は、本プログラムの改善と研究にのみ活用され、個人を特定できる形で公開することはありません。

ファシリテーター
森 玲奈(もり・れいな)
学び続ける人とそれを包み込む社会に関心を持ち、ワークショップやカフェイベントの研究を中心に、生涯学習に関する研究と実践を続けている。帝京大学学修・研究支援センター准教授。東京大学大学院情報学環客員研究員。博士(学際情報学)。1977年12月東京都杉並区生まれ。主な著作に『ワークショップデザインにおける熟達と実践者の育成』(単著、ひつじ書房)、『ラーニングフルエイジング:超高齢社会における学びの可能性』(編著、ミネルヴァ書房)、『ワークショップデザイン論?創ることで学ぶ?』(共著、慶應義塾大学出版会)などがある。

 

研究とは何か?/野村康「社会科学の考え方 ―認識論、リサーチ・デザイン、手法―」

8/20のお話。夏休み中も2日ほど大学に行きましたが、今日から完全に事務なども通常業務。

8/30まで出張続きで大学に来れないので、午前は事務仕事。

昼前から学生の就職相談。キャリアセンターは研修で窓口業務は休みだったので、職員にお願いしてつないでおく。

勝又さん@関西学院大学とネットでミーティング。うまくいくといいのですが。

その後、研究室に遠海さん、嶋田さん@東北学院大が来て、研究ミーティング。対面に限らず、久しぶりだったので、4時間ほどみっちり(笑)。がんばれ、若者。議論したおかげで、私もちょっとは戻ってきたかしら。

後半は「研究とは何か?」みたいな話。難しいですね。

以前、うちわの研究会で、野村康「社会科学の考え方 ―認識論、リサーチ・デザイン、手法―」を読みました。社会科学に限らず、大学院生など研究に関わる人は読むといい1冊だと思います。

社会科学の考え方―認識論、リサーチ・デザイン、手法―

社会科学の考え方―認識論、リサーチ・デザイン、手法―

 

第Ⅱ部「社会科学のリサーチデザイン」、第Ⅲ部「社会科学の手法」は、量的研究、質的研究も含め、どの分野でも研究者としてはおさえておくべき話かな、と。

興味深かったのは、第Ⅰ部「社会科学の認識論」第1章「認識論」。その時のレジュメを参考に。

存在論:基礎づけ主義、反基礎づけ主義
認識論:実証主義、批判的実在論、解釈主義

<基礎づけ主義>実証主義  批判的実在論 
                   解釈主義<反基礎づけ主義>

著者は「存在論や認識論は、抽象的で理解し難いかもしれないが、研究者が自分の存在論・認識論的立場を意識することは自らの研究の土台になる。その意識なくしては一貫した手法を選択できず、方法論的に矛盾する研究になりかねない。」(p.34)、「また、異なる存在論的・認識論的立場を折衷することはできないことには留意が必要である」(p.36)と述べています。

さて、折衷できない、というけど、本当ですかね?と思ったのが、この時でした。p.36に「常に自らの存在論的立場や認識論的立場を、きれいにポジショニングできるわけではない。」としてバッファゾーンやグレーゾーンがある、とは言っているのですけども。

私は博士課程の時に、主査が情報工学、副査が教育哲学の研究者で、先生たちが真反対のことを言ってるように思えて、本当にしんどかった時期がありました。今思えば、それぞれ実証主義、解釈主義に基づく研究者だから、なのですが、私自身はこの両方をどうにかゆるやかにまとめられないか、と思ってたし、今もそう思ってるな、と。そこに自分の特性を出していけるといいな、と改めて感じました。難しいけどね。

そう思うと、もっと勉強しないといけないなぁ。理論苦手だし、、、。がんばらないと。

親の写真を撮っておくと、いいですよ。

夏休み、そして、お盆でしたね。うちでは特に集まることをしないのですが、親のことを少し思い出しました。

父親は1年間の闘病の末、13年前に白血病で亡くなり、父親が入院したころから母親は認知症となり、9年間介護をして、4年前に亡くなりました。そういう意味では、私の30代は両親の看病や介護に関わってきたのかな、と思います。他の同世代より少し早かったなぁ、と思いつつ、なにかの役に立つかなと思い、いろいろ書いておくようにしてきました。最近Facebookなどで介護の話をちらほら見るようになったのですが、リアルタイムじゃなくなるとなかなか書く機会がなかったので、また介護の経験などを知りたい人にいろいろ提供できるといいな、と思います。

母親を介護していく中で、最後の方ですが、老人ホームにいくたびに2人で写真を撮るようにしました。これ、みなさんにもお薦めしたいです。若者は自撮りをさくっとしますけど、私達おっさん世代は、普段自分たちの写真を撮る、ということをあまりしないですよね。だから意識的に撮ったほうがいいよね、と。

今になってですが、親の写真とかもっと撮っておけばよかったなぁ、と思います。お子さんがいる家庭は写真を撮る機会が多いのかな、って思いますが、私のように独り身だとなかなかそうならないですしね。まあ、若いときは実家に帰ること自体、めんどくさくて嫌でしたけどね(笑)。

撮り始めたのが認知症もかなり進んでいた時期なので、おふくろはスマホに映る自分が不思議そうで、スマホをいっぱい触ってました(笑)。ある意味、子どもみたいな感じだったのかもね。この写真は4年ほど前で、亡くなる半年くらい前。

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このとき、Facebookには「あいかわらずヘルパーさんたちにはよくしてもらっているようで、特にお気に入りのヘルパーさんが近くを通るとごきげんです。わかりやすい。」って書いてありました。ほほう。

www.facebook.com

おふくろ、あんまりお金もない家で結構苦労して、はやく認知症になって、どういう人生だったんやろ、って介護していく中で思うことが結構ありましたけど、まあ、幸せだったかな。

45歳になりました。40代後半に向けて。

45歳になりました。昔に思ってた45歳とはだいぶ違いますが(もっとしっかりしていると思ってた)、それはもう諦めました(笑)。

40代前半の5年間は、正直、満足できるものではありませんでした。仕事面でもうまくいかないことが多かったですし、研究面や学会の仕事などでも自分で思うように進めることができないことばかりで、いろいろ迷惑をかけることが多かったです。

体裁を整える能力は身につけてきたので、外からは、そこまでは見えないかもしれませんが、長い文章を書けなくなっていること、メンタル面でもちょっとしんどいな、っていう時が多かったです。思い返してみると、23歳くらい、32歳くらい、にそれぞれしんどいときがあったので、10年周期くらいでくるのかも。あと、厄年ってよくできてますよね。特に後厄から苦しみました。

さて、ネガティブなことばかりになってしまいましたが、40代後半の5年の目標として、もっと世の中にアピールして、社会的責任を果たすことに注力していきたい、と考えています。

自分の研究などについては、学会などでは認めていただけることも増えたのですが、他の分野の方に知られていないのが実情です。自分の研究のみならず、教育工学や大学教育学といった分野の重要性を、もっと他分野の研究者や有識者に知ってもらうこと、広く一般の方に知ってもらうこと、をやっていかないと、と考えています。

大学のことも同様で、今の大学の努力や取組を知らずして「大学は役に立たない」と自身の経験から語る人(特に企業の上層部の方など)が結構いるので、これについても少しでもなんとかしていきたいと思っています。そのためには、そういうことを言う人に認められること、自身の発言力をあげること、ということになると思うので、その辺りも対策を考えてみたいと思っています。

あとは一般の人(イメージは小中の同級生と、うちの大学の卒業生)向けに、大学教員として、本などを中心にいろんな情報を提供したいと思ってます。最近あまりできてなかったので、復活できれば。生涯学習のきっかけになるかもですしね。あ、生態もかな(笑)。大学教員もただの人、って知ってもらうことも大事。

もちろん一朝一夕にはいかないですから、少しずつですけどね。アピールすれば、きっといろんなことも起こるでしょうし、自分自身が(勘違いして)おかしなことを言い出す可能性もあるので、本当に気をつけてやっていきたいと思ってます。私が調子に乗ったりして、おかしなこといい出したら、みなさん指摘してくださいね。

40歳までは、静かに生きていきたい、とちょっと思っていたのですが、いろいろタイプ的に無理みたいなので(笑)、そういう役割なのであれば、ちゃんとがんばろうか、っていうことです。

こんなたいそうにえらそうなことを書いて、何もできないかもしれませんが(苦笑)、責任を意識しながら頑張ってみたいと思います。「有言実行」が一番大事ですからね。

京都文化力プロジェクト総合監修者事業検討会、キックオフ

7/3のお話。

大学に行って、事務作業して、昼休みには西野亮廣講演会のチケット販売。学生らにまかせて移動。

午後、京都文化力プロジェクト総合監修者事業検討会@京都大学

「京都文化力プロジェクト」は、”2020年東京オリンピックパラリンピック競技大会等を契機として、日本の文化首都・京都を舞台に行われる文化と芸術の祭典”ということです。京都府京都市が中心となって運営されています。

culture-project.kyoto

連携事業としては、私の知り合いの方々も関わっておられるICOM2019(国際博物館会議京都大会)などがあるようです。

私は、実行委員会事業として2020年度に実施するイベントについて、総合監修者である山際総長@京都大学のもとで考えていく、という委員会のメンバーになった、ということな模様。

実際は、先日、宮野さん@京都大からメッセンジャーで「こういうことに関わってるから、おもろいことやりましょうや」的な話がやってきて、私でいいのか、と思いつつ、「じゃあ、やりましょか」って返した、っていうことです(笑)。事前資料では宮野節炸裂、でしたけどね。

メンバーに佐藤さん@京都産業大がいて、びっくり(笑)。そんなつながりがあったとは。他には、宮島さん@京都大、呉さん@union.a、電通京都府京都市の職員、というメンバー構成。

2時間半、みっちり議論しました。事前資料はもらっていたとはいえ、全然見えてない状況で参加したのですが、宮野さんの仕切りのもと、とてもいいテンポで議論でき、すごく心地よかったです。いろんな会議もこんなふうにできればいいのに(笑)。

私は「探偵ナイトスクープ」「よ~いドン!」「ちちんぷいぷい」などの関西ローカルを中心に、「激レアさんを連れてきた。」「アメトーーク!」などのテレビ番組の知識やお笑いの話なども事例として出しながら意見することが多かったです。”ガオーさん”が一部の人に劇的に刺さって面白かったです(ちゃんと議論したんか、って思われそうですけど、そこは大丈夫ですよ)。

終了後に「忙しいと思うのですが、いつそんなにテレビとか見てるのですか?」と聞かれました。よく聞かれてるんですよね(笑)。まあ、休憩でもあり、仕事に使えないかな、と分析しながら見ているので、そこはもう職業病ですかね。

少しでも役に立てるといいな、と思いますし、京都外大の名前を売れる機会になれば、と思ってます。これからも楽しんで取り組んでいきたいと思います。

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6/20 京都外大「情報社会論」で宇野常寛さんに授業してもらった件

6/20の京都外大「情報社会論」で、宇野常寛さんにゲスト講義に来ていただきました。

twitter.com

 

若い読者のためのサブカルチャー論講義録

若い読者のためのサブカルチャー論講義録

 

 

10年前にゼミの学生から教えてもらったがきっかけで、その後、著書を読むようになりました。今回、大学で直接お話を聞ける機会ができてよかったです。外部を含めて100名くらいの参加者となりました。

自己紹介では、右京区に住んでいたということ(立命館出身)で、京都ファミリーモスバーガー(数年前になくなりましたが)で買い物していた、という話を。

今回「文化批評としての情報社会論」というタイトルで、3つのキーワードについてお話いただきました。

・「他人の物語」から「自分の物語」へ
・「政治と文学」から「市場とゲーム」へ
・「境界のある世界」から「境界のない世界」へ

1点目は、「情報」から「体験」へ、”他人の物語”から”自分の物語”が文化の中心になっている、というお話。CDは売れないがフェスの動員は伸びている、ということはよくいいますが、カラオケなどが普及した結果、同性の曲を聞く傾向が増えている、”SNSリア充自慢”も、広義のイベント、体験、といったことを例として紹介されました。

2点目は、「私」と「公」、「個人」と「世界」のお話。20世紀前半の映像などの発展で「私」と「公」の接続が可能になったものの、独裁主義などの問題が生じ、20世紀後半は、マスコミの政治権力からの独立が進んだが、マスコミが肥大しすぎてポピュリズムが進んでしまった。そして、21世紀前半、インターネットの登場でポピュリズムを克服しようとするが、Twitterポピュリズムフェイクニュースなどが跋扈してしまった、というお話。

3点目は、グローバル/情報化の影響で、国内の格差は広がったが、世界的な格差は縮まったということ、グローバルと国家、都市、企業の関係をどう考えるか、プラットフォームと多様性といったお話。

Togetterのまとめは、こちら。

togetter.com

2点目、3点目は授業ではなかなかまとめて話したことが内容だったので、学生にとってすごくいい機会になったと思います。学生にはちょっと難しかったことも多かったようですが、もっと勉強しないと、と感じてくれたようで、よかったです。

なにより私が一番楽しく聞かせていただきました(笑)。共感するところも多かったですし、宇野さんには私にはない鋭さがあって、すごいな、と思いました。

今後もなにか一緒にできることがあればいいな、って思います。

 

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なぜ、京都外大で西野亮廣さんの講演会を開催するのか?

久々のブログ更新になりました。

7/17に京都外大で、西野亮廣さんの講演会を開催します。

学生に企画・運営をしてもらっています。そこで作成したブログのリンクを紹介します。よかったら、お読みください。

 

nisinoakihirokouenkai.hatenablog.com