「二十歳(はたち)のとき、何をしていたか?」を考えてみた

昨日、館野くんのこのブログを読みました。

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自分が20歳の時ってどうだったっけ、と。私が20歳だったのは1993年。今から25年前ですね。もう、そんな前かぁ。一昨年、阿倍野にあった実家を売却したのですが、この4日間は実家から2kmほどの西成に泊まっているし、いい機会なので、ちょっと思い出してみました。

20歳、1年の浪人を経て、京都大学総合人間学部の1期生として入学。正直、現役で合格する能力はなかった(理学部を受けて撃沈)のですが、その後に総合人間学部ができた、ということで、浪人したのもきっと運命だろう、と思ってました。わかい(笑)。

母親は実家から通える大学に現役で行ってほしかったようですが、ここは自分の意志(というか、わがまま)を貫きました。私としてはすぐさま下宿したかったのですが、親の反対もあり、浪人していた弟の勉強をみる必要もあって、1年間は実家から、という契約で、2時間ほどかけて大学に通っていました。

私自身はいわゆる優等生だったし、親も放任主義だったので、親に反抗したことってほとんどなかった気がしますが、進学3回(大学、修士、博士)と下宿については、ちょっともめて、最終的には自分の意志を通した感じになったのかな、と思います。まあ、2回生からM2までの5年間は風呂なしアパートに住むんですけどね。まじで貧乏。

高校の時から始めたソフトテニス、運動できないわりに一生懸命取り組んで、レギュラーになったもののほとんど試合に勝てなかった悔しさから、大学でも体育会に入りました。毎日15時から練習で、土曜日は9時から、日曜日は試合、で休みはほぼない、という状況で、かなりブラックだったですね(笑)。しかも実家からだったので、とにかくがむしゃらにやっていました。正直、なんどもやめよう、と思ったのですが、今思えばやめる勇気がなかった、というのが本当かもしれないです。ただ、なんとかがんばるということはできたので続いたのかな、と思います。

授業はあまり出てなかった気はしますが、学部のクラスの友達が”火曜日の会”?(あれ、木曜日の会だったっけ、、、うるおぼえ)なるものを開催し、いろいろな分野に関心のある学生たちが、自分の興味のあることを紹介し、議論する、ということをやってたので参加していました。私は教育関係の話題を提供しましたし、全体として学問のみならず、政治や宗教の話題も結構したおぼえがあります。濃かったですね。

20歳の頃は、とにかくがんばれば何でもできるはず、苦手なことにも挑戦しないといけない、面白そうなことはなんでもやろう、と思っていて、とにかく効率悪かったけれど、好奇心やエネルギーにあふれていたような気がします。今考えてみれば、もっとうまくできたろうに、って思いますけど、若いんだし、無駄があったからむしろよかったのかな、という気もします。

体力的にあの時のようにはいかないですが(笑)、純粋な気持ちを思い出してみようかな、ってちょっと思いました。