松下慶太「モバイルメディア時代の働き方 拡張するオフィス、集うノマドワーカー」

松下さん@実践女子大の新著「モバイルメディア時代の働き方 拡張するオフィス、集うノマドワーカー」を読みました。 

新しい働き方、働く場所について、メディア論から考えた本。「テクノロジーによって私たちの働き方は影響を受けているが、それと同時に、私たち自身も自分たちが働く中でさまざまなテクノロジーを用いており、両者が相互に影響しあっている関係性やその背景となる歴史的文脈にも目を配りながら検討していく」と書かれています。

「本書の目的は「測定可能な数字」によるテクノロジーや制度導入の事前・事後でのワーカーや企業側にとっての生産性や効率の効果測定や効率的な導入方法を提案・解説することではない」と書かれています。そして、「むしろ、生産性向上や効率化という題目で導入されたものがワーカーやワークプレイスの「場」においてどのように実践されているのか、またその中でどのように変容するのか、に着目する。」として、フィールドワークなどによる質的データに基づく考察を行うことを述べています。

先日のイベント(ライフシンキングカフェ)に参加した際に、この辺の話をしたのですが、私のような教育工学者の場合は、やはり効果測定(特に量的データ)がどうしても頭にはあって論を組み立てがちです。もちろん、簡単に測れないよね、とは思いつつ、なのですが(最近だとラーニングコモンズの評価などがそうですね)。そういう意味でも、”どのように”に着目してコワーキングスペースやワーケーションなど新しい働く「場」について考察している研究は大変興味深いな、と思います。

第1章、第2章は、理論的に検討している内容で、この本の特徴だと思います。拡張、適応から”フィット”への変遷、ライブなどに代表されるオフライン体験の重要性など、いまのネットの世界についてわかりやすく説明されており、授業でも使いたいな、と思いました。また、2章で「空間(Space)」と「場所(Place)」の違いについて説明されているのですが、私などはあまりこのようなことを考えたことがなかったので、とても勉強になりました。

第3章以降は、クリエィティブ・オフィスやノマドコワーキングスペース、ワーケーションについて実際の例を紹介しながら、解説されています。いろいろな事例も紹介されていますし、興味のあるところから読んでも面白いと思います。

働く場所に自由にするのか、バケーションの場所でゆるやかに仕事をするのか、いろいろな考え方があると思います。院生時代や若手のころに遠隔ゼミに関わっていた際「対面の意味をどうとらえるのか」ということを考えたことがあったのですが、改めて考えてみる必要があるな、と思いました。

研究に興味のある方は序章から、実際の新しい働く場に興味のある方は好きなところから読んでみるといいのかな、と思います。

 

 

大阪の真ん中で、井戸を掘ってきました

西成の釜ヶ崎にあるゲストハウス、ココルームに井戸掘りにいってきました。

motion-gallery.net

クラウドファンディングで資金を集めていて、寄付はしていたのですが、作業に参加できたのは初めて。4月に堀りはじめのところは見ていたのですが、4ヶ月ぶりに来たら、それはそれは大きな井戸になっていました。

作業は、ココルームのスタッフ、ずっと作業をしておられる方に加え、私を含めた一般のおじさん3名、インターンを含めた大学生3人(1人は東京から!)、香港からきて泊まっているという男性とミュージシャンの女性でした。

まずは掘った土とセメントを混ぜてのモルタルレンガ作り。空気を抜くためにスコップでザクザクと刺して?いきます。モルタルレンガは井戸の周りに積んでいくそうで、この型も釜ヶ崎で働いていたおっちゃんがつくったそうです。

作業した人やクラウドファンディングに参加した人の名前をいれていくのですが、前に入れてもらっていたのがちょうど見えるところに置いてありました。わーい。

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その後、交代で井戸に入って、井戸掘り作業。今は3.7メートルの深さがあって、高所恐怖症の私はだいぶ怖かったですが(苦笑)、井戸の中にある木の棒をはしごとして降りていきました。水も冷たく、涼しいです。井戸の中からも写真撮りました。なかなかない経験ですよね。

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その後、ポンプで湧いてくる水を汲み出しつつ、土を掘ってバケツに入れ、電動の滑車(ウィンチ)であげてもらい、まさにバケツリレーで土を外に出していきます。井戸の中で掘る人、ウィンチを操作する人、土を運び出す人、ポンプを通りやすくする人、を交代でみんなで作業しました。

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最後に、地上にある木枠をみんなで乗って下に押し込みました。そんなことができるのか。私は、鉄の棒をつかってテコの原理で持ち上げる係。ちなみに、おっちゃんたちは「こねる」と言ってたのですが、専門用語?方言?初めて聞きました。

終わってから、銭湯に。私は最初から行くつもりだったので、他の方も誘って男性3名でいきました。やっぱり、銭湯いいですよね。

みなさんでご飯を食べて、いろいろお話してから、假奈代さんと、釜ヶ崎芸術大学の日程の相談。昨年度もおこなった「研究のつくりかた」、3月22日の予定です。また、後期の日程が出たら、広報します。

井戸掘り作業みたいなこと、なかなかできないことで、いい経験になりました。個人的に、肉体労働をそれほどしたことがなかったので、実際にやってみていろいろわかったこと、考えることもありました。

次回は8/24(土)ということです。9月以降もいくらかはあると思います。めったにできない体験だとは思うので、興味あればぜひご参加してみたらいいのでは、と思います。

また、大阪に泊まる際、ちょっと違った経験を、とか、安いところで、と思った方は、3500円で泊まれるので、ぜひ。

cocoroom.org

 

 

 

 

46歳になりました。

46歳になりました。

 昨年、ブログに40代後半の目標を書いてみたのでした。

munyon74.hatenablog.jp

このブログを書いたときには、今のような状況になるとは、まったく予想していなかったです。本当にこの1年でいろいろなことが起こり、状況も大きく変わりました。自分でもびっくりです。

京都外国語大学から大阪大学へ、しかも、研究科や学部ではなく、全学機構の所属で、大学教員としての仕事は全く違うものになりました。本当に異業種に転職したつもりで、手探りながら仕事をしているところです。

昨年書いていた「もっと世の中にアピールして、社会的責任を果たすこと」「自分の研究のみならず、教育工学や大学教育学といった分野の重要性を、もっと他分野の研究者や有識者に知ってもらうこと、広く一般の方に知ってもらうこと」については、大阪大に異動して実現しやすくなった、と思います。

しかし、異動して思うことは、大阪大学の教員としての研究力はまだまだ足りていないということ、まずは研究の体力をつけないといけない、ということをひしひしと感じています。きちんとインプットしていきたいです。

あと、英語と数学、ちゃんと勉強しようと思います。こう書くと、中学生みたいですが、やっぱり大事。

大学が変わっても、フットワーク軽く、カジュアルにいろいろなところに行って、フランクにいろいろな人と話して、つなぎ役として働けるようにがんばっていこうと思います。

今年も充実した、幸せな1年になりますように。

寛容な世の中に

最近いろいろな事件が巻き起こり(とはいえ、昔よりも事件は減ってるのですが)、それに合わせて、いろいろな意見がネット上などを飛び交うのを目にします。授業などでネットの話をすることが多いので、チェックしているのですが、多くは、糾弾するような意見のように感じますし、たしかに正しいようにも思えます。ただ、それは本当に正しいのでしょうか。

ある意味、他人事だから言える話で、安全なところから正しい意見を言っているようにも思えます。自分の身に降りかかると思っていないから言えるのであって、”もし、自分がその立場になったら、どう振る舞うのか”という想像があまりにもないように感じます。

自分が悪いことをした時や関与してしまった時に、言い訳なしで説明できるのか。知り合いが悪いことをしたときに、どう関わることができるのか。どう責任をとることができるのか。最近、そういうことをよく考えます。

もう少し寛容な世の中になってほしいですし、少しでも寛容な雰囲気を醸成できたらいいな、と思います。

京都外大「情報社会論」で原田まりるさんにゲスト講義してもらった件(19/5/20)

5/20(月)3限「情報社会論」の授業に、ゲスト講義として、作家・哲学ナビゲーターの原田まりるさんにきていただきました。

haradamariru.amebaownd.com

ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。」を読んで、学生にいいなと思って薦めていたところ、「まいにち哲学」のサイン会が京都であることを知って、参加して講演のお願いをしていました( その時の Instagram はこちら )。実現できてよかったです。

 

 

まいにち哲学

まいにち哲学

 

 

ゲスト講義は4年目ですが、どういう理由で行っているのか、はまた別に書きたいと思います。

対談形式がいい、ということでしたので、自己紹介をしていただいてから、

・原田さんのこれまでの活動
・なぜ哲学に興味を持ったか
・なぜ本や小説を書こうと思ったか
・「ニー哲」「ぴぷる」について
・AIについて考えること

について質問し、発言の中からまた質問をする、という形式で進めました。

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哲学に興味を持ったのは、尾崎豊が好きだったこと、本屋で哲学書を見つけて読み、感銘を受けてことがきっかけとのこと(その本を聞くの忘れたのですが、中島義道先生の本のようです)。学生に聞いたら、尾崎豊の歌は知っていて、カラオケでも歌うみたいですね。

中学、高校の頃から、論理的な文章を読むことが好きだったそうで、本を書きたい、という想いはずっとあったそうです。

レースクイーン(まんがの「頭文字D」が好きだったことがスカウトのきっかけだったようです)、男装アイドルという経歴を持っておられます。一瞬、関係なさそうに見えますが、「小説を書くなどやりたいことをするには、まず有名になってからのほうがいい」という先生のアドバイスを素直に受け止め、その中で”文章を書きたい”という気持ちをずっと持ち続け、いろいろな媒体に書いてきたことが素晴らしいな(編集者がそれらを見て「本を書きませんか?」と声をかけてきたそうです)、と思いました。また、タレント本にはしたくない、という強い気持ちを貫けるのもすごいと思いました。

いろいろな経験が長い目で見ると活きてくる、ということもありますよね。就職活動など、キャリアを考える上で、学生には参考にしてほしいな、と思いました。

原田さんは”哲学をわかりやすく伝えたい”という思いがあるということで本を書かれているということだったのですが、個人的に面白いな、と思ったのは、論理的な文章が好きでたくさん読んでいたら、解説やコラム?的なものを書くようにも思うのですが、小説を書きたいという思いが強い、ということです。小説の方が自由に書ける、思考実験のようなことができる、という理由があるそうです。なるほど。

あと、異性のロボットやアバター(最近だとVTuberとか)を操作したりする際に感情移入(同化?)することがある、という話をしたのですが、男装アイドルの活動をしていたときに、他のメンバーの髪が徐々に短くなったり(ウィッグをするので、別に長くてもいいそうです)、原田さんも男性っぽいふるまいが増えて、笑わなくてもよくて、よかった、とおっしゃっていました。なるほど。たしかにそうなるのかもな、と思いました。学生の感想にも「服装で振る舞いや気持ちがかわるかも」というのがあったし、今の卒論で化粧のテーマがあるのですが、そういう影響があるんだろうな、と思いました。

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ぴぷる

ぴぷる

 

他にも「涙はコミュニケーションの断絶」みたいな話から泣くことの意味とか、泣く人、泣かない人それぞれの理由について、とか、夕陽や月、景色を見てきれいと思うかどうか、今どきの学生が感じるキュンとする瞬間、などいろいろな話題について、学生も交えてお話しました。

対談形式は2回目(2年前の夏生さえりさん以来)で、あまり決めていなかったので少し心配もあったのですが、やってみたら、すごく楽しくできてよかったです。

「哲学に興味を持った」「原田さんの本を読んでみようと思った」「自分の好きなことをしっかりやりたい」「私は英語をしっかり勉強しようと思った」という感想が多数あったので、ぜひ学生には行動してほしいな、と思います。

twitterを見て9年前のこの授業を受けていた卒業生(原田さんのファンだそうで)が参加してくれました。元気そうでなにより。

4限のゼミにも来ていただき、小説や人工知能の話、恋愛観についての議論などをしました。私、原田さん、学生、と、年齢が一回りずつくらい違うので、世代の違いもあって面白かったですね。

ゲスト講義、学生にとってもいい機会だったと思いますが、私自身が楽しかったです。今後もこういうことをやっていきたいですね。

 

 

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”エリート”と辞めるタイミング

丸山穂高議員についてのニュースがたくさん出ています。このブログでは、発言内容などについてはふれません。

www.huffingtonpost.jp

丸山穂高氏は大阪府堺市出身で、西大和学園高校卒業、東京大学経済学部卒業のあと、経済産業省に入省して、松下政経塾に入塾、そして衆議院議員になった、とのこと。

いわゆる”エリート”です(” ” をつけておきます)。経歴を見れば、スーパーエリート、といっても過言ではないでしょう。

あの発言をした後、彼は議員をすぐやめる、という判断をしませんでした。その結果、おおさか維新の会を除名されました。結果、議員を続けるようです。辞職勧告に対しても、対抗しようとしているようです。

あくまで推測ではありますが、発言が問題になったときに、すぐに謝罪、議員辞職していれば、次回の選挙で当選するチャンスはあったかもしれません。きちんと禊をすませたと認識してもらえる可能性もあったと思います。

でも、それはできないんだなぁ、と。

いわゆる”エリート” ゆえだからなのかな、と。

挫折をしたことがなかったのかも。謝ることができないのかも。他人を赦すことができないのかも。

自分がこの立場になったとして、きちんと判断できるだろうか。謝ることができるだろうか。いつ、この立場になるかもしれない、と思うと、怖くもあります。

自分自身も気をつけないといけないですし、大阪大学に勤めるようになったので、学生にもきちんと伝えていかないと、そう思いました。

真のエリート(変な言葉ですが)とはなにか、も考えさせられました。

「大学の先生ってなんで単位落としたりするんですか?落としてなんかいいことあるんですか?」

昨日、元同僚のtweetが、少しバズりました。

なるほど、という感じで、質問した後、いくらかやりとりしました。詳細はツイッターの方を見てもらうとしまして。

みなさん、関心のあるテーマなんでしょうね。

私は、まずは「学生が「単位落としたら、教員にとっていいことがある」って思っているのが、興味深いですね。そうじゃないのにね(笑)」と返したのですが、何パターンかあるんだろうな、と思います。メインと思われる2パターンを。

 

1)学生はあまり努力せずに単位がほしいが、教員は適切な基準で評価して落としている

この場合は、教員は、授業の質を担保するために、成績の悪い学生(努力しなかった学生)を落としている、ということになります。入口、出口が適切に設定できていて、授業をきちんと行っていた場合、すなわち学生がきちんと努力をすれば学習成果が上がり、単位を取得できる、のであれば、教員はきちんと判断して落とすべきであると言えると思います。

この辺でイメージされるのは、「楽勝科目を取りたい」という心持ちですかね。

 

2)教員が適切な授業や指示をしていないのに、評価基準(求めるレベル)が厳しく、学生が努力できない、そのレベルに到達できなくて、落としている。

先日のブログに関連しますが、この場合は、教員が授業の入口、出口を適切に設定できていない(入口の想定がおかしい場合が多い)、学生がどのように勉強していいのかわからない、といった状況なのに、教員が学生に高い到達目標を求めている場合があります。この場合は、単位を落とすこと自体が、教員の問題としてはね返ってきます。授業者としての責任を果たしていない、能力が足りていない、という判断になるのかな、と思います。

munyon74.hatenablog.jp

たまに、15回の授業でテスト1回でのみ評価するにもかかわらず、3割とか5割とか単位を落とす教員がいますけど、それは先生の授業設計の方に問題がありますよ、ということはあります。ただ、これはなかなか修正できないんですけどね。。。そういう先生方への働きかけは大変です。

 

大学教員としては、学生の単位を落としても、特に”いいこと”はないと思いますが、学生には授業でしっかり学んでもらいたいですよね。なので、学生には、単位のために授業を受ける、というのではなく、主体的に授業を受けてほしいし、教員側もそうできるようにしたいな、と思いました。