京都外大「情報社会論」で原田まりるさんにゲスト講義してもらった件(19/5/20)

5/20(月)3限「情報社会論」の授業に、ゲスト講義として、作家・哲学ナビゲーターの原田まりるさんにきていただきました。

haradamariru.amebaownd.com

ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。」を読んで、学生にいいなと思って薦めていたところ、「まいにち哲学」のサイン会が京都であることを知って、参加して講演のお願いをしていました( その時の Instagram はこちら )。実現できてよかったです。

 

 

まいにち哲学

まいにち哲学

 

 

ゲスト講義は4年目ですが、どういう理由で行っているのか、はまた別に書きたいと思います。

対談形式がいい、ということでしたので、自己紹介をしていただいてから、

・原田さんのこれまでの活動
・なぜ哲学に興味を持ったか
・なぜ本や小説を書こうと思ったか
・「ニー哲」「ぴぷる」について
・AIについて考えること

について質問し、発言の中からまた質問をする、という形式で進めました。

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哲学に興味を持ったのは、尾崎豊が好きだったこと、本屋で哲学書を見つけて読み、感銘を受けてことがきっかけとのこと(その本を聞くの忘れたのですが、中島義道先生の本のようです)。学生に聞いたら、尾崎豊の歌は知っていて、カラオケでも歌うみたいですね。

中学、高校の頃から、論理的な文章を読むことが好きだったそうで、本を書きたい、という想いはずっとあったそうです。

レースクイーン(まんがの「頭文字D」が好きだったことがスカウトのきっかけだったようです)、男装アイドルという経歴を持っておられます。一瞬、関係なさそうに見えますが、「小説を書くなどやりたいことをするには、まず有名になってからのほうがいい」という先生のアドバイスを素直に受け止め、その中で”文章を書きたい”という気持ちをずっと持ち続け、いろいろな媒体に書いてきたことが素晴らしいな(編集者がそれらを見て「本を書きませんか?」と声をかけてきたそうです)、と思いました。また、タレント本にはしたくない、という強い気持ちを貫けるのもすごいと思いました。

いろいろな経験が長い目で見ると活きてくる、ということもありますよね。就職活動など、キャリアを考える上で、学生には参考にしてほしいな、と思いました。

原田さんは”哲学をわかりやすく伝えたい”という思いがあるということで本を書かれているということだったのですが、個人的に面白いな、と思ったのは、論理的な文章が好きでたくさん読んでいたら、解説やコラム?的なものを書くようにも思うのですが、小説を書きたいという思いが強い、ということです。小説の方が自由に書ける、思考実験のようなことができる、という理由があるそうです。なるほど。

あと、異性のロボットやアバター(最近だとVTuberとか)を操作したりする際に感情移入(同化?)することがある、という話をしたのですが、男装アイドルの活動をしていたときに、他のメンバーの髪が徐々に短くなったり(ウィッグをするので、別に長くてもいいそうです)、原田さんも男性っぽいふるまいが増えて、笑わなくてもよくて、よかった、とおっしゃっていました。なるほど。たしかにそうなるのかもな、と思いました。学生の感想にも「服装で振る舞いや気持ちがかわるかも」というのがあったし、今の卒論で化粧のテーマがあるのですが、そういう影響があるんだろうな、と思いました。

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ぴぷる

ぴぷる

 

他にも「涙はコミュニケーションの断絶」みたいな話から泣くことの意味とか、泣く人、泣かない人それぞれの理由について、とか、夕陽や月、景色を見てきれいと思うかどうか、今どきの学生が感じるキュンとする瞬間、などいろいろな話題について、学生も交えてお話しました。

対談形式は2回目(2年前の夏生さえりさん以来)で、あまり決めていなかったので少し心配もあったのですが、やってみたら、すごく楽しくできてよかったです。

「哲学に興味を持った」「原田さんの本を読んでみようと思った」「自分の好きなことをしっかりやりたい」「私は英語をしっかり勉強しようと思った」という感想が多数あったので、ぜひ学生には行動してほしいな、と思います。

twitterを見て9年前のこの授業を受けていた卒業生(原田さんのファンだそうで)が参加してくれました。元気そうでなにより。

4限のゼミにも来ていただき、小説や人工知能の話、恋愛観についての議論などをしました。私、原田さん、学生、と、年齢が一回りずつくらい違うので、世代の違いもあって面白かったですね。

ゲスト講義、学生にとってもいい機会だったと思いますが、私自身が楽しかったです。今後もこういうことをやっていきたいですね。

 

 

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”エリート”と辞めるタイミング

丸山穂高議員についてのニュースがたくさん出ています。このブログでは、発言内容などについてはふれません。

www.huffingtonpost.jp

丸山穂高氏は大阪府堺市出身で、西大和学園高校卒業、東京大学経済学部卒業のあと、経済産業省に入省して、松下政経塾に入塾、そして衆議院議員になった、とのこと。

いわゆる”エリート”です(” ” をつけておきます)。経歴を見れば、スーパーエリート、といっても過言ではないでしょう。

あの発言をした後、彼は議員をすぐやめる、という判断をしませんでした。その結果、おおさか維新の会を除名されました。結果、議員を続けるようです。辞職勧告に対しても、対抗しようとしているようです。

あくまで推測ではありますが、発言が問題になったときに、すぐに謝罪、議員辞職していれば、次回の選挙で当選するチャンスはあったかもしれません。きちんと禊をすませたと認識してもらえる可能性もあったと思います。

でも、それはできないんだなぁ、と。

いわゆる”エリート” ゆえだからなのかな、と。

挫折をしたことがなかったのかも。謝ることができないのかも。他人を赦すことができないのかも。

自分がこの立場になったとして、きちんと判断できるだろうか。謝ることができるだろうか。いつ、この立場になるかもしれない、と思うと、怖くもあります。

自分自身も気をつけないといけないですし、大阪大学に勤めるようになったので、学生にもきちんと伝えていかないと、そう思いました。

真のエリート(変な言葉ですが)とはなにか、も考えさせられました。

「大学の先生ってなんで単位落としたりするんですか?落としてなんかいいことあるんですか?」

昨日、元同僚のtweetが、少しバズりました。

なるほど、という感じで、質問した後、いくらかやりとりしました。詳細はツイッターの方を見てもらうとしまして。

みなさん、関心のあるテーマなんでしょうね。

私は、まずは「学生が「単位落としたら、教員にとっていいことがある」って思っているのが、興味深いですね。そうじゃないのにね(笑)」と返したのですが、何パターンかあるんだろうな、と思います。メインと思われる2パターンを。

 

1)学生はあまり努力せずに単位がほしいが、教員は適切な基準で評価して落としている

この場合は、教員は、授業の質を担保するために、成績の悪い学生(努力しなかった学生)を落としている、ということになります。入口、出口が適切に設定できていて、授業をきちんと行っていた場合、すなわち学生がきちんと努力をすれば学習成果が上がり、単位を取得できる、のであれば、教員はきちんと判断して落とすべきであると言えると思います。

この辺でイメージされるのは、「楽勝科目を取りたい」という心持ちですかね。

 

2)教員が適切な授業や指示をしていないのに、評価基準(求めるレベル)が厳しく、学生が努力できない、そのレベルに到達できなくて、落としている。

先日のブログに関連しますが、この場合は、教員が授業の入口、出口を適切に設定できていない(入口の想定がおかしい場合が多い)、学生がどのように勉強していいのかわからない、といった状況なのに、教員が学生に高い到達目標を求めている場合があります。この場合は、単位を落とすこと自体が、教員の問題としてはね返ってきます。授業者としての責任を果たしていない、能力が足りていない、という判断になるのかな、と思います。

munyon74.hatenablog.jp

たまに、15回の授業でテスト1回でのみ評価するにもかかわらず、3割とか5割とか単位を落とす教員がいますけど、それは先生の授業設計の方に問題がありますよ、ということはあります。ただ、これはなかなか修正できないんですけどね。。。そういう先生方への働きかけは大変です。

 

大学教員としては、学生の単位を落としても、特に”いいこと”はないと思いますが、学生には授業でしっかり学んでもらいたいですよね。なので、学生には、単位のために授業を受ける、というのではなく、主体的に授業を受けてほしいし、教員側もそうできるようにしたいな、と思いました。

 

授業設計では「自分が学生だったら」とは考えない。

時々、大学の教員が「今の学生はこういうのも知らない」と言っているのを聞いたり、書いているのを目にしたり、することがあります。そういう発言自体が、ブーメランで自分の授業力の問題を浮き彫りにしてしまっている、と言えるかもしれません。

日本教育工学会のFD研修会のテキストには

「昔の学生と同じと思っていませんか? 教える学生のことを理解していますか?」

とあります。

大学授業改善とインストラクショナルデザイン (教育工学選書II)

大学授業改善とインストラクショナルデザイン (教育工学選書II)

 

授業を設計する際には「入口」をしっかり把握すること、つまり、授業を受ける学生の状況を理解することが重要になります。

私自身、気をつけていることの1つに、「自分が学生だったら」とは考えないようにしている、ということがあります。

「自分が学生だったら、きっとこういうのが面白いだろうし」と思って授業をすると、学生の興味や理解度などとずれてしまう可能性が高いと思われるからです。そもそも、大学教員になっていることがめずらしいケースなわけですからね。

出身大学で授業するような場合は、そういう想定でもうまくいくかもしれないのですが、それでも、今の学生と自分の学生時代を比べたら、やっぱり違いますよね。

先日、授業見学をしてもらう前にインタビューをうけた際に、そういう話をしたので、ちょっと書いてみました。

母の日と近鉄百貨店

今日は母の日ですね。夕方に梅田に行ったら、お花屋さんに行列ができていました。

うちは5年前に母親が亡くなっているのですが、母の日になにかしたか、って言われると、あんまり何もしなかったなぁ、、、。もうちょっとなにかしたらよかったかな、と思ったりもしたのですが、こんな記事もありました。まあ、感謝の気持ちはあったと思うので、よかったことにしておこう(笑)。

headlines.yahoo.co.jp

 

先日、GWの話や家族旅行の話になって、私はひきこもりで普段あまり出ないんですよ、みたいな話をしたのですが、そもそも子どもの頃に家族で泊まりの旅行をしたことがないなぁ、と。夏休みに1週間ほど、おふくろの故郷である徳島に行くくらいでした。大人になっても出かけないのは、そういった影響もあるのかもしれないですね。

おふくろと出かける、といえば、実家のたこ焼き屋が月曜日が定休日だったので、月曜日が祝日のときに天王寺近鉄百貨店に行くくらいでした。バスで10分とかで行けるところでしたが、それでも、子ども心に楽しみにしていたものでした。ちょっと買い物をして、ご飯を食べて。

中学生になったころから、もう自分で自転車で日本橋に通うようになったので、おふくろと出かけることもほぼなくなったのですが、久々にちょっと思い出しました。

今は、天王寺もきれいになって、近鉄百貨店もあべのハルカスになって、だいぶ変わりました。ただ、あの懐かしい感じの近鉄百貨店が自分の中の天王寺かな、と思ったりしたのでした。

 

酒井敏「京大的アホがなぜ必要か カオスな世界の生存戦略」

 

京大的アホがなぜ必要か カオスな世界の生存戦略 (集英社新書)

京大的アホがなぜ必要か カオスな世界の生存戦略 (集英社新書)

 

大学時代にお世話になった酒井先生@京大総合人間学部の新書。

大学に関する内容(序章、第3章、第4章、終章)と、酒井先生の研究分野であるカオスに関する内容(第1章、第2章)の2部立てで相互に関連づいている、という感じの構成。

やはり、気になるのは、序章「京大の危機は学術の危機」です。京大の自由の学風の重要性、しかし、その維持が難しくなっている、という問題意識。学術研究に「効率」を求めることによる弊害、そして、”効率の悪い「アホ」が人類を救うかもしれない”という主張。

「アホ」というのは、まさに関西弁で、おかしいけど、ちょっとおもしろいことやりましょうや、って感じなのかな、と思います。そういうことをやっていく中で、思わぬ発見があったりするんじゃないかな、という気がします。

ぜひ多くのみなさんに読んでほしいな、と思いました。そして、ここから、第1章、第2章へのカオスの話へとつながっていきます。

そして、第3章に「決まった体系のない「教養」はスケールフリー構造の知識?」」という節があります。”教養とは?”という議論は、大学教育を考える上で本当に難しい話だと思うのですが、「体系化が完成を求める一方で、それぞれの領域が「タコツボ化」して行き詰まっている」(p.124)という記述もあるように、体系がないのも1つのあり方なのかな、と思います。学際的って一言でいうのは難しいですけどね。

まあ、p.123にあるように、教養部が改組されて設立された総合人間学部に1期生として入学した私も”なんか、だまされた”と思いましたし(笑)、酒井先生もp124-125にこのように書かれています。

「君らは騙されたんや。もっと起こっていいぞ。でも、ここからは先は僕が大学当局の人間であることを棚に上げて言うけど、君らは何しにこの学部に来たんや?なにか新しいことをしたくて来たんちゃうの?だったら、総合人間学部を選んだ君らの選択は間違っていない。新しいことをやれよ。ただし、教員は理学部や文学部出身だから、新しいことは教えられない。でも、君らが勝手に新しいことをやることを止めることもできない。だって、総合人間学部の看板にそう書いてあるんだから。錦の御旗は君らの方にある。だから、大学をあてにするな」

そうね、実際にこんな感じでしたよね(笑)。だからこそ、文句言いながらも、なんやかんやと取り組んでみたのかな、と思いました。ゆかいな学部生活でしたね。

 

私は、この4月に、大阪大学の全学教育推進機構に着任しました。教育学習支援部は、全学のFDや教員研修、大学院生研修などを担当する部署ですが、機構全体としては、教養部を母体とした共通教育を担当する機関です。こういう機関に所属した、ということは、ある意味、縁だったのかもな、と思うところもあります。

京都大学出身という外様であること、理系出身なのに京都外国語大学という私立大学に17年間勤めたということも活かしつつ、大阪大学ならではの教養教育、FDや教員研修の支援ができたらいいな、と思っています。

垣谷美雨「後悔病棟」

後悔病棟 (小学館文庫)

後悔病棟 (小学館文庫)

 

空気を読めずに、たびたび患者に心ない言葉をかけてしまう内科の女医ルミ子が、中庭で拾った不思議な聴診器で、患者の心の声が聞こえるようになる、というお話。末期がんの患者が死ぬ前に人生を振り返り、後悔している”あの日”まで戻って別の人生を体験することを支援する。

連作短編集で、芸能界デビューをしていたら、家族ともう少し話していたら、娘の結婚に反対していなければ、中学時代に罪をかぶっていれば、という4つの心残りのエピソードがあげられています。実際に別の人生を体験して、死んでいく。どちらの選択のほうがよかったのか、というのは難しいけれど、いろいろ考えさせられました。

女医ルミ子が、これらの体験を通して、患者の気持ちに寄り添うようになり、少しずつ成長していく様も興味深いです。

私だったら、どこに戻るかなぁ、と考えますね。いつかしら。なんにしても、悔いないように生きていきたいですね。