2018年もおしまいですね

2018年も残りわずかとなりました。今年で45歳になり、落ち着いていくかな、と思っていたのですが、むしろ逆で、いいことも、悪いことも、予期せぬことも含めて、いろいろなことがありました。

そんな中、楽しいこともたくさんありましたし、多くの人に支えられていること、助けられていることを、改めて感じることができた1年になったと思います。そういう意味で幸せな1年でした。また、生きていることそのものがとても幸せなことだ、ということも感じることがありました。心身ともに健康に気をつけていきたいと思います。

 

誕生日のときに、40代後半の目標を書きました。

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ちょうど年末に、研究者のみなさんと3日間がっつり議論をする機会があり、その中で、自分の役割をどう果たしていくべきか、将来どうしていけばいいか、を考える機会がありました。この半年ではまだまだですが、これからの4年半で、きちんと自分の役割を果たしていけるようにしていきたいと思いますし、将来のことをしっかり考えられるようになりたいな、と思います。

みなさま、良いお年をお迎えください。

 

タイミングをよくしていこう

昔からタイミングが悪いなぁ、と思うことがよくあります。だいたいの場合、考えすぎたり、慎重にいきすぎたりしてしまって、結局、行動が遅れてしまい、よくない結果になってしまう、ということが多い感じです。この間もそんな感じで失敗したな、と。まだわからないけど。

以前、感受性についてブログを書いたのですが、思い返してみると、最初の感覚があっていることも結構多いな、と思ったので、できるだけ自分のフィーリングを信じて(どうしても信じられないことが多かったので)、できるだけ早く判断して行動すること、を今さらながらこれから意識していきたいな、と思います。

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実家を売却しました

いくらか前になりますが、実家を売却しました。

昔からある(たぶん大正時代)六軒長屋の真ん中で、長らく誰も住んでないので、たまに行くものの、ずいぶん老朽化してしまっていました。

正直、どうしようかな、と迷っていたのですが、もともとも狭い家で住むにしてもかなりリフォームしないといけないし、いろいろ問題もあったので、売却することにしました。

小さい頃は、家に風呂がないことや、2階の狭い2部屋に家族4人で生活していたことが、本当に嫌だったです(苦笑)。自分の部屋も欲しかったし、お風呂もあってほしかったなぁ、と。でも、今思うと楽しいこともたくさんあったんだなぁ、と思います。あの家で過ごしたから、少し苦労した経験があったから、今の人生があるんだよね、と。

祖父が始めたたこ焼き屋を、祖母とともにお袋がやることになったのですが、まったく経験のなかった中、よくやっていたな、と大人になると思います。友達がたこ焼きを食べに来てくれたりして、とてもありがたかったです。私がたこ焼き屋を継ぐことはさすがになかったわけですが、実家でたこ焼き屋やっていてよかったなと思います。

実家の写真って全然ないんですよね。。。もっと撮っておけばよかったです。実家を整理した時、出てきた写真を。まだジュースは、自動販売機じゃなくて、冷蔵庫の時代。

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正月やお盆に実家に帰ることはなくなったわけですが、当たり前のことながら故郷は一生変わらないし、地元の友だちと遊んだりしたいと思います。

 

アイスクリスマスケーキの思い出

なぜか、ふと思い出した。我が家のクリスマスといえば、アイスケーキだったことを。

我が家ではこれといってクリスマスのお祝いをすることはなかったのですが、父親がタクシーの運転手で、毎年会社からアイスケーキをもらって帰ってくるのでした。なぜタクシー会社がアイスケーキなのか、という謎はあるし、今思えば別に豪華なやつだったわけでもないのだけど、子どもとしてはとても楽しみにしていたのでした。だって、アイスやもん。

すごく久しぶりに思い出したのですが、そういう経験を重ねているって大事なことなんだな、と思いました。

 

サンタの存在を、ピンボールと商店街で知ったお話。

クリスマスイブですねー。みなさんの投稿やネットのエッセイ(noteなど)を読んでいると、クリスマスプレゼントの準備をする話(子どもに隠す話)とともに、「いつサンタの存在を知ったか?」という話題をちょくちょく見ます。

私の場合は、小学1年か2年の時に、おもちゃのピンボールをもらったのですが、そのピンボールが商店街にあったニチイ(スーパー)にドカンと置いて安売りしていて「これやん」と思ってわかった、という。両親ともつめが甘いというか、なんというか。まあ、それは遺伝しているわけですけど(笑)。

その後も儀式は一応しばらく続いたと思いますが、起きて枕元を見たら伝記みたいな本がプレゼントの時もあり。親としては、そういう気持ちになるんでしょうね。今となればわかりますけども。

いい天気になりました。みなさんのところにもサンタさんが来て、クリスマスプレゼントが届くといいですね。いいクリスマスイブになりますように。

思ったより泣けない男

今日は、母親の命日でした。4年になります。早いなぁ。

前から気になっていたことが1つあって、実のところ、両親が亡くなった時やその後に、全く泣いてないんです。もともとドライで感情の起伏も少ない方だし、どちらも病気で入院していて突然ではなかったので、ある程度心の準備をしていたし、長男で自分がしっかりしないと、という気持ちもありました。だから、そういうものかな、と思いつつ、どこかで泣けないことを気にしていたところがありました。自分って冷たい人間なのかしら、と。

検索したら、気にしている人、一定数いるみたいですね。

昔、卒論で、○活についてとりあげた学生がいて、そのメインの1つに”涙活”というのがありました。その卒論のあと、結構流行ったので、おお、と思ったのですが。

www.ruikatsu.com

思いっきり泣くことでストレス発散になるらしいです。一度やってみてもいいのかしら。何やったら、泣けるのかなぁ。

 

「プロって何?」とその難しさ

ゼミでは、卒論をはじめ、いろいろなテーマについて議論することになります。その中で、特に昨年、今年と話題になるのが「プロって何?」「職業としてなりたつのか」ということ、です。

たとえば、ゲーマー、声優、漫画家、ミュージシャン、小説家、などなど。プロという定義にはさまざまあると思いますが、基本的に「お金を稼ぐことができる」ことと考えます。スポーツ選手で考えれば、日本でプロとしてやっていけるスポーツは、バレーボールのVリーグや、バスケットボールのBリーグ、最近できた卓球のTリーグなど少しずつ広がってきていますが、まだまだかなり種類が少ないということになるでしょう。多くのスポーツ選手は、企業の社員として活動しているケースが多いですよね。

それで、プロ=「その仕事で生活していける」まで含むかどうか、は悩むところです。

例えば、声優で言えば、志望者は多いですが、声優の仕事だけで生活していける人はほんの一握りだそうです。そして、今の時代、小説家も小説を書くだけで生活できる人は、本当に少しだけ、ということになります。朝井リョウ氏のような作家でも、少し前まで兼業作家だったわけです。

芸人も、昨日、M-1で優勝した霜降り明星は若手で関西で人気もあり、これから一気にブレイクするでしょうが、前年優勝したとろサーモンなどは、それまで芸人としての仕事はほとんどない状態で、いろいろなバイトなどをして食いつないでいたわけです。でも、芸人。そして、M-1優勝で人生が大きく変わった、と言えるわけで、他に典型としては、サンドウィッチマンやバイきんぐ(キングオブコントでの優勝)などがいます。彼らもずっと”プロ”の芸人ではあったわけです。

いま、その仕事でどうやってお金を稼ぐのか、ということを考えることがとても難しく、大変になってきているな、ということを感じます。特にコンテンツ関係の仕事は特に。これはインターネットやデジタル化の普及によることが大きいわけですが、仕組みを考えること、プラットフォームを作ることが重要である、ということ。そして、違法も含めて、無料や安い値段ででコンテンツが流通、消費されてしまう、ということが問題になる、ということ。消費者優位になりすぎてしまい、コンテンツの作り手がなかなか得をしないシステムになってしまっている、ということかな、と思います。

今後は「複業時代」になっていくのだろう、と思いますが、「プロ」のあり方もどんどん変わっていくのだろうな、と思いながら、ゼミや授業をしています。

だいぶ、まとまりのない文章ですが、これから卒論を読んでいくので、とりあえず書いておきました。また、自分としても整理していきたいと思います。

ちなみに「プロの研究者」ってなんなのかな、ということもありますね。それもまた書いてみたいですね。